インターネット出島、​あるいは​毒沼から​ローリング回避で​抜け出す

2025-01-06

年末にXの投稿を99%ぐらい削除した。自身のアカウントのアーカイブを作成して、その中に含まれる全投稿のIDとブラウザから取得したヘッダートークンを使って削除エンドポイントを数万件分叩くだけの簡単なスクリプトを作って。削除操作はレートリミットもクオータもない。一部のAPIドキュメントにも残っているのと同じく、出来上がったアーカイブのファイル名が `twitter-*.zip` だったのは少し笑ったけど、そういう細かい整合性が全く気にされないプロダクトになってしまったんだなと思って変化を感じた。

成田悠輔 | 出島社会のすすめ── 連帯ブランディングより幸福な分断を というエッセイを昔読んだのを思い出す。氏の評価は学術面と一般向けの面とでかなり異なるけど、これは当時ナイーブな功利主義への技術的な修正みたいなことを感じて面白いと思った。

開かれた=無制限な交流が良いのか悪いのか。そもそも選好性でクラスタが形成され推薦アルゴリズムによる介入がなされているような媒体なのだから、その性質を個々人の効用の向上に使えばよいのではないか。

ナッジに対する倫理的な批判と同じような問題が生じそうだけどそこはいったん置いておく。

「インターネット出島」があったとしたら、今日は生の社会を見てみるかというような気持ちの準備とともにそこを見ることになるのだろう。見たくないときは開かなくてよい。ある時期までのTwitter/Xやはてなブックマークは自分にとってそういう場所だった。

けれどここ最近の “tech oligarchs” ―学生時代に本やブログで読んだような独特の知性をもちかつてのテック業界に良かれ悪かれ名を残し少なくとも成し遂げたことは記録に残るような成功者たち…の一部が到達した現在の姿―のしょーもなささに冷めてしまったところがある。イカれているけどすごい、ではなく、イカれているうえに影響力があるものになったのはとても残念。これから先、そういう人物たちの評価を書くときは時期への注釈が必要になりそうなぐらい。

「どうせ支配されるのならせめて高い知能だけでなく知性を持ち倫理的な存在に支配されるほうがよい」なんて思いが少しあるので最近の情勢は常時見ていると失望感が大きい。一方でこういう気持ちは 壮大だけど引いている文章が結構しょーもない加速主義者のお言葉と根底では似通っている気もする。人間を超える知性的な存在により意識の外でおこなわれる穏やかで幸福な生活のための介入…を夢想する点で。

なんてことは本当にどうでもいいことだけど、現実的に情報源やコミュニティを穏当に区分けする方法をこちらが保有することはとても重要に思える。

その点で最近はクライアントサイドのモデレーションや推薦システムに興味がある。Blueskyはそのあたりが設計思想に含まれているのもあって、結構好きかもしれない。